定年までに考えておいた方が良いと思う事(その1) –          おやじdemo_CentOSを使う
10月 112017
 

私は現在57歳であります。

55歳を超えたあたりから仕事を辞めた後どうなるのか?
また、年金を貰えるようになってからどういう生活に変わるのか?

良く考えるようになりました。

この年代としては、年金が貰えるのが65歳からとなっており、このまま65歳で貰えるようになる保障もありませんが、仕事としては60歳、もしくは65歳で定年を迎えるのは間違いありません。

健康であれば、仕事をそのまま続けたりもできるでしょうし、引退して人生最後の自由な生活をする事もできます。

そうなった歳にどちらを選択するのか?

現状では、年金がどのくらい出るのか?によっても変わってくるでしょう。
貰える年金が削られるようであれば、補うために仕事をしなくてはならなくなる。
すると、人生最後の自由な時間も削られてしまうという事になります。

もう40年間も、好きでもない上司や会社に酷使され、自分自身では「良くやった!、もういいだろう」と考える訳だが、老後の生活の糧である年金が貰えない、金額が少なくなるという事では、全然、先が読めなくなってしまう。

年金受給が70歳とか75歳からとかの検討が始まっている。

「70歳になっても、こんなに元気です!」みたいなアピールをする高齢者もいる。
かたや、65歳で若年性痴ほう症になってしまう人もいる。

そんな都合よく、元気の良い人に合わせないで欲しい。
人間のDNAは人それぞれなんですよ。

長生きできるDNAの人も居れば、長生きできない人もいるんですよ。

それを一括りにして70歳からとか言うなよ。
年金を40年くらい払って、60歳で死んだら、一円も貰えぬまま終わりですよ。

こんなイージーな制度ってありですか?
文句の一つや二つ、年金に関しては言いたくなりますよね。

でも、今回私が言いたいのは年金の事ではない。

そう、人生最後の自由な時間をどう有意義に楽しく過ごすか?という事ですよ。
若ければ、身体も動くし無理もきく。

65歳を過ぎたあたりの人が楽しく生活するのはどうしたらいいのか?
そういう事をあらかじめ考えておく必要性があるという事を言いたいのです。

仕事で昼間駅周辺を歩けば、それと思われる人がゆっくりと歩いている。

マクドやドーナッツ屋、コーヒー屋にもいる。

ちょっと若者っぽい姿をしているが、冴えない感じの服装である。
だから直ぐに判別できる。

「この人は一体、何しにここに来たのか?」
「まさかコーヒーを飲むためだけにここに来たのか?」

余計な詮索をしていまいます。

駅周辺だけではない、行政の施設関係にも沢山いる。
図書館や公民館など。

何かのサークルにでも入っている訳ではないし、仲の良い友人といる訳でもない。
何が楽しくてここに来ているのか?

もしかて家に自分の居場所がない。奥さんに出て行って!と言われているとかどうか。

私が想像するには、お金を掛けないで楽しめる事ってこういう場所をプラプラする事やコーヒー、お茶を飲む事ぐらいしか考えられないのではないか?

男の場合は組織や会社などで役職があり、偉そうにしていた事も関係しているだろう。
会社では「俺は休みの日も仕事している」なんて偉そうに部下に話をしたりしていた。

しかし、定年となり、その役職が無くなっても、気持ち的には役職に就いたままなのである。
だから、自治会などの地元の団体でも偉そうな立場で物を言い、周囲から嫌われてしまう。
だからと言って、ボランティア的な事もやる訳でもない。

趣味も無い、友人もいない、地元の知り合いもいない、・・・・・

これが良くあるパターンだそうです。

次回へ続く・・・

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