慶応大学の広告学研究会の性的暴行事件でサークル解散命令となりました。
この研究会以前にも問題を起こしておりました。
我々からしてみると、東京大学、早稲田大学、慶応大学、京都大学などなど偏差値が高い大学に通っている人達は真面目で勤勉なイメージをもっておりますが、結論的には「馬鹿はどこの大学にもいる」という証明になったような気がします。
私は元々、馬鹿高校、三流大学出身なので「馬鹿でも仕方ない」とう感覚でいましたので、他人から「あ~!この大学ね」なんて小馬鹿にされても仕方ない立場でおりました。
馬鹿と自称している分、気持ち的には楽なもんです。
周りからあまり期待されないし、出来ないような事が出来るとビックリしたり。
社会に出れば、方程式を解くわけでもないし、偏差値よりも一般常識が必要である。
一般常識とは、世間一般当たり前の知識、経験、判断力である。
これがずれると非常識という事になる。
しかし、どこの学校(偏差値が高い、低い関係ない)でも馬鹿はいるな。
これは大学に限らず、高校でも同じ、いくら進学校であっても馬鹿な奴はいる。
馬共鹿は集まって、ロクな事をしない。という事がしみじみ分かりました。
不思議と馬鹿共は同じような馬鹿が自然と集まるんだよね。
汚れた水が自然と水たまりを作るのと同じような事でしょうか。
馬鹿が多くなる理由もある。
正式に試験を受けて大学に入る奴が少なくなったという事だ。
何でも推薦で楽して入学しようという発想自体がどうか。
やはり、人知れず努力をして受験する覚悟があって、入学できた嬉しさがあるだろう。
楽して努力もせず入学した奴らは、遊びに夢中になり、中途退学等になるのがおちだろう。
そして、馬鹿は大学の学生だけではない。
いわゆる高齢者馬鹿だ。
非常識な発言、自分勝手な意見を押し付ける馬鹿者だ。
「残業100時間で過労死は情けない。」と勝手な意見を述べている。
若い子が亡くなっている事に対して非常識極まりない。
それも武蔵野大学の教授ですよ。
自分の立場で上から目線の発言ってどうよ。
こういう人も、勉強は出来て教授にもなったが、馬鹿と同じ。
人の気持ちを理解してあげる事も出来ない、心の偏差値が低い人なのであろう。
そして何でも自分主張ばかりを言う人達。
近所に保育園建設の予定があれば「反対する」
「子どもの声がうるさい!」やら「道が細いから保育園に適していない」とか・・・
自分達は子どもの頃が無かったような意見ですよ。
もう高齢者で毎日年金生活でやる事が無いのであれば、近所の保育園周辺の安全安心見守りなど出来ないものなのかと思う。
何でもそうだが、文句を言う奴に限って何もしない連中なんだよね。
世の中の、せめて近所の役に立つ何かをしてあげるのも悪くはないでしょう。
今のご時世、せこい、非常識な高齢者、政治家、公務員で物事が動いている。
もう少し、日本人らしく、人に優しい世の中が作れないものかと思う。