隠れ奴隷制度 –          おやじdemo_CentOSを使う
9月 302020
 

前記事で一人・ぼっちについて書きました。

今の世の中は(昔からそうですが)、強欲な、身勝手な、強引な、利己主義の、の政治家や経営者によって成り立ってしまっています。

その中で、自分もお金持ちになりたい、少しでも楽な立場になりたいという個人的な欲求から無理をしてしまっている人が多いと思います。

一生懸命やったからと言って、必ずしもそうなる訳でもありません。

そんな状況が10年、20年と続く事によって精神的にも身体的にも無理が生じてきて、体に異変が出てくる訳です。

昭和時代には大学を卒業して会社に入り結婚して子どもを作り、家を買い、そのローンのために働き続けなくてはならないような仕組みでした。

しかし、まだ家のローンを払っていける社会的な土台がまだありました。
それは年功序列型の雇用で成果にとらわれず、勤務年数で徐々に賃金は上がり、年収が増えて地位も上がっていったのです。

会社の景気が良ければ社員全員で分け合う慣習もあったはずです。

でも、令和の今は違います。

昭和のこの年功序列型からアメリカ方式の成果主義になりました。

成果主義と言っても曖昧な表現で、成果や結果を出しても賃金は上がらない、地位もあがらないようなやらせ的な偽成果主義になってしまいました。

成果や結果を出しても上に居る上司の手柄となって終わりです。
年収が上がったところで雀の涙みたいなもんです。

こんな事で頑張って、体を削り、家族を疲弊させてよい事なのか。

この成果主義が日本の企業に取り入れられた時点で我々一般ピープルの考え方、生き方を見直さなくてはならなかった。

成果主義に踊らされ努力しても何も変わらず使い捨て。
挙句の果てに体調、精神を病んでも自己責任。

最終的には社内の同僚とも仲が悪くなってお互いが敵同士のような形になる。
敵は同僚でなく、上層部の人達なんですけどね。

そうなると段々と会社に居る事自体が辛くなってくるのです。

真面目な社員を踊らせ、仕事を無理を押し付け休みも与えないブラック企業が増える訳です。そして仲違いは身内同士です。

あほくさい。

そこで「一人・ボッチ」の生き方が現れたのです。

「あ~もう嫌になった、馬鹿臭い、そんな人達のために一生懸命働いても何も変わらない」段々とこの偽社会、偽構造に気が付き始めた人が多くなってきたのです。

もっと人間らしく生きたい。
もっと人生、気楽に行きたい。
もっと自分の好きな事で生きたていきたい。

そんな人が徐々にではあるが増えてきたように思います。

一人・ボッチは社会的に一人という事では無い。
ただ単に、一人で居る事の方が居心地が良いというだけの話である。

それを、一人・ボッチ=友達が居ない⇒社会的に孤立している。と表現する奴もいる。大体は、経営者や役職の人達がわざとそのように表現する。

これは現代の奴隷制度だと思う。
安い賃金で長時間労働をさせ利益は経営者と株主がもらう。

隠れ奴隷制度としか言いようがないな。

早くみんなも気が付くべきだと思う。
会社も奴隷が居なくなれば困るのは経営者、株主なのだから。

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