一人ぼっち –          おやじdemo_CentOSを使う
2月 212024
 

私の行動は本当にぼっちが多いです。

乗り物も沢山の人が乗れる車よりも一人で乗るバイクが好き。

沢山の人の中で仕事をしていると非常にストレスが溜まってしまいます。
勝手に「近寄らないでオーラ」を爆発的に出しています。

それでも私の嫌な距離に入ってくる人がいます。

仕事している最中に話し掛けないで欲しい。
こちらは仕事に集中したいのに・・・。

こういう人は他人に迷惑な事ばかり依頼したり、仕事の邪魔するんですよ。
「近くに来ないで欲しい」と心の中で呟いています。

私は家でもぼっちで何かをしている事が多い。

このブログを書いている時も一人。
スマホを見ている時も一人。
PCで調べものしている時も一人。
本を読んでいる時も一人。

よくよく考えると一人でしか出来ない事をするのが好きなのかも知れません。

買い物は時と場合によって家族で行きますが、趣味の分野の買い物ではぼっちで行動する時の方が多い。

友達もいますが、「会おう!」と言いながら1年が経過する大学時代の友人もいます。
相手が本気にならない限り、会うのが面倒なのかも知れません。

還暦過ぎになると、基本、「何事も面倒億劫」になってきます。

若い頃には、思いついたら即行動が得意でしたが、本当にここ最近は予定を入れないでその日の体調に合わせた行動を考えるパターンになっています。

基本的にぼっちが大好きなんですね。

ぼっちと言ってもスマホやパソコンがあれば友人といつでも繋がるし問題ありません。

日頃の仕事のストレス解消がぼっち行動になっていると思います。

みんなと飲みに行く事も少なくなりました。
若い頃にはキャバクラのお姐さんとアフターまで付き合っていたのに今はもう行きません。

面白いと感じなくなったのか?
無駄金だと思ったのか?
女性に飽きたのか?

理由は分かりませんが、お酒自体、飲む事が少なくなりました。

これから歳を取るにつれて、この傾向は顕著になると思います。

ただ、言えるのは高齢になりつつある中で「ぼっち」が淋しいと思わない性格は悪くはないと考えています。

誰かしら傍に居ないと・・・
話し相手が居ないと・・・

という人は孤独に耐えられないかも知れません。

その点、私はへっちゃらのようです。
一人ぼっちで居ても何か楽しい事、遊びを考えます。

孤独死についても悪い死に方だと思っていませんし、死んだら無になるからどうだっていいのかも知れません。

ご同輩の皆さんはいかがですか?

9月 302020
 

前記事で一人・ぼっちについて書きました。

今の世の中は(昔からそうですが)、強欲な、身勝手な、強引な、利己主義の、の政治家や経営者によって成り立ってしまっています。

その中で、自分もお金持ちになりたい、少しでも楽な立場になりたいという個人的な欲求から無理をしてしまっている人が多いと思います。

一生懸命やったからと言って、必ずしもそうなる訳でもありません。

そんな状況が10年、20年と続く事によって精神的にも身体的にも無理が生じてきて、体に異変が出てくる訳です。

昭和時代には大学を卒業して会社に入り結婚して子どもを作り、家を買い、そのローンのために働き続けなくてはならないような仕組みでした。

しかし、まだ家のローンを払っていける社会的な土台がまだありました。
それは年功序列型の雇用で成果にとらわれず、勤務年数で徐々に賃金は上がり、年収が増えて地位も上がっていったのです。

会社の景気が良ければ社員全員で分け合う慣習もあったはずです。

でも、令和の今は違います。

昭和のこの年功序列型からアメリカ方式の成果主義になりました。

成果主義と言っても曖昧な表現で、成果や結果を出しても賃金は上がらない、地位もあがらないようなやらせ的な偽成果主義になってしまいました。

成果や結果を出しても上に居る上司の手柄となって終わりです。
年収が上がったところで雀の涙みたいなもんです。

こんな事で頑張って、体を削り、家族を疲弊させてよい事なのか。

この成果主義が日本の企業に取り入れられた時点で我々一般ピープルの考え方、生き方を見直さなくてはならなかった。

成果主義に踊らされ努力しても何も変わらず使い捨て。
挙句の果てに体調、精神を病んでも自己責任。

最終的には社内の同僚とも仲が悪くなってお互いが敵同士のような形になる。
敵は同僚でなく、上層部の人達なんですけどね。

そうなると段々と会社に居る事自体が辛くなってくるのです。

真面目な社員を踊らせ、仕事を無理を押し付け休みも与えないブラック企業が増える訳です。そして仲違いは身内同士です。

あほくさい。

そこで「一人・ボッチ」の生き方が現れたのです。

「あ~もう嫌になった、馬鹿臭い、そんな人達のために一生懸命働いても何も変わらない」段々とこの偽社会、偽構造に気が付き始めた人が多くなってきたのです。

もっと人間らしく生きたい。
もっと人生、気楽に行きたい。
もっと自分の好きな事で生きたていきたい。

そんな人が徐々にではあるが増えてきたように思います。

一人・ボッチは社会的に一人という事では無い。
ただ単に、一人で居る事の方が居心地が良いというだけの話である。

それを、一人・ボッチ=友達が居ない⇒社会的に孤立している。と表現する奴もいる。大体は、経営者や役職の人達がわざとそのように表現する。

これは現代の奴隷制度だと思う。
安い賃金で長時間労働をさせ利益は経営者と株主がもらう。

隠れ奴隷制度としか言いようがないな。

早くみんなも気が付くべきだと思う。
会社も奴隷が居なくなれば困るのは経営者、株主なのだから。

9月 292020
 

私は昭和生まれですが、人付き合いが面倒くさいと考えるタイプです。

人と一緒にいれば自分はとても気を使ってしまうタイプです。

だから、一人でいた方が楽なんです。
昭和生まれの最先端を生きてきたのかも知れません。

家の奥さんも私が一人で音楽を聴いたり、本を読んだり、PCをしたり、バイクに乗ったり、一人で居る事に関して文句は言わなくなりました。

若い頃には、「自分だけ・・」とか良く文句言われてました。

一人でいる事、一人ボッチという表現もありますが、私にとって一人ボッチとは、自由そのものだと思っています。

他人に忖度しなくてもいい。
自分の好きな事を好きな時間に何でもできる。

一人で好きな事をやっていても誰にも文句は言われない。

それが趣味であろうと仕事であろうと一人で熱中してやっている。

バイクに乗る時も一人が当たり前。もちろん、ツーリングも一人。

「さみしく無いですか?」と良く人に言われるが、自分では一人でいた方が全然気が楽であり、楽しいと思える。また、「友達いないのですか?」という訳の分からん事を言う奴もいるが、面倒なので「居ない」と言っておく事にしている。

休日も一人で好きな事をしていると「休息を取った」と感じるのである。

一つ言えるのは、このボッチの世界には「押し付け」は無い。
イヤイヤやっているような事も無い。

全ては自分が好きでやっている事なのである。

楽しいか楽しくないかは全部、自己責任なんですね。

唯一、条件を付けるのであれば、「他人様に迷惑はかけない」という事でしょうか。

令和時代は、過去の考え方、生き方を捨て、やりたい事をやる時代になる。
いつまでも拝金主義に乗せられていてはいかん。

人生は一度しかない。
死んだら終わりだよ。

最近、若い子の自殺など心が痛いことばかりである。
日本人の人口自体が減っているのに自殺なんてするなよ。

私は現在61歳手前にいます。
人生80年と考えれば、生きている時間は20年弱しかありません。

そんな短い時間を「お金」で縛られたくないし、「自分の嫌いな事」もしたくありません。

前から言ってますが、「ボロは着てても心は錦」ですよ。