蛭子能収さんの認知症で考えさせられること

投稿者: | 2020年7月10日

世の中では人生100年と言われています。
私的には、寿命80年、健康年齢70だと思っています。

80歳を過ぎてもバリバリ動いている人もいれば、60歳過ぎてから病気がちになり仕事も辞めて家で養生している人もいます。

健康で100歳まで生きてられる人は、言っている程多くは無いと思います。
寝たきりで100歳でも100歳は100歳です。

最近ニュースで漫画家の蛭子さんが、物忘れが激しいという事で病院で検査を受けたところアルツハイマーとレビー小体型認知症の診断を受けたそうです。

蛭子さんは、現在72歳です。
健康年齢が男であれば70歳~72歳というのが的確であるように思えます。

俺は70歳でも元気だから問題ない!!
そう思っているあなた!

知らず知らずに呆けたりアルツハイマーになっている可能性があるんですよ。

高齢者になれば、人の介助無しで普通の生活を送ることが出来なくなります。
となると、家族の協力が必要になり、仕事や学校の合間を見ながら介護を手伝っているという家庭が多いのではないでしょうか。

認知症の人は、特に気性が激しくなったり正気にもどっていたりする事があり、顔の表情を見ていると何となく分かるようになります。

特に目です。
鋭い眼差しの場合には攻撃性がある。
宙を見ているような時には完全に呆けている、反応が怪しい。

人間の生活レベルである食べる、下の世話などが出来なくなったら自宅での介護は困難になってくる上、家族の苦労も大変になってくる。

介護の面倒をいくらしても、その事に関して反応も感謝の言葉も無い。
家族の顔も誰が誰だか分からなくなり他人と同じようになってしまう。

蛭子さんの場合には、早めに認知症の診断を受けたので薬で進行を遅らせる事が可能であると思われる。

家族の者が、認知症かも?と疑っても本人に言い出しずらいケースや、本人が頑なに病院に行きたがらない事もある。だがそれが結果的に進行を早める事になる。

早めに診断をした方が本人にとっても家族にとっても良い事である。

私も現在、家の家内の親(母親)の面倒を家族で見ている。
一緒に住み始めて4か月ほどになるが、家での生活が一変してしまった。

今までは仕事以外は、家内も息子も私も成人であり、自分の時間ややりたい事については自由であった。

しかし、ばあさんが来てからは誰かしらが傍にいて面倒を見なくてはならない。
施設への送り迎えもやらなくてはならないし、食事の時もご飯を床に落としたりと落ち着いている暇が無くなった。

施設に週2回ほど宿泊をしている時が家族全員が安らげる時間である。
非常に介護施設の職員さんには有難く思っている。

自分の場合には、「息子にこんな事をさせる事になるのか?」と良く考えるようになった。

裕福な人であれば、介護施設に入居させる方法が可能だが、自分の場合はどうなのか?と考えるとそこまでの資金の用意はできないと思っている。

自分が今出来る事は、早めの診断を受け、進行を遅らせてなるべく健常者で居られる時間を長くする事ではないかと考えている。

息子には「俺が認知症と思われる節があったら病院に必ず早めに連れて行ってくれ!」と言っている。息子も「分かった」とは言うが、見たくない自分の親の将来像を考えるのが嫌なようである。

問題は家の奥さんである。

とりあえず女性なので私よりも長生きする確率が高い。
家の奥さんは息子に私のような話はしないだろうと思っている。
それは女性特有の「強情な面」があるからだ。

きっと認知症かも?と疑っても「私は呆けていない、認知症ではない」と言い張るだろう。

息子には私を含め家内の事に関しても伝授しておかなくてはならない事が沢山ある。

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