事故 –          おやじdemo_CentOSを使う
11月 092022
 

私は現在63歳になる少し手前です。

父親は他界して、母親はまだ健在ですが痴呆症を発症しており妹が面倒をみています。
最近は介護施設にお世話になっており、一時の大変さからは解放されつつあります。

そして私ですが嫁さんの母親(所謂婆さん)とも同居しています。
年齢は95歳になります。

お婆さんはだいぶ前から痴呆症を発症しており、少し前の事を覚えていない状態です。
このところ足腰が弱くなり歩くのも大変な状況になってきました。

お婆さんは介護施設にお世話になっており、週に3日お泊りをして帰ってきます。
その他の日は家で介護も食事もしなくてはなりません。

お婆さんはレビー小体型の痴呆症で、時々、幻覚が見える事、そして体が左右どちらかに偏るという症状が出ます。座っていても右側に傾いていく事が多い。

幻覚としては、玄関先に帽子を被った人が見えるとか、子どもが家の中に居るとか急に言い出したりします。

痴呆症になりたくてなった訳ではないでしょうが、やはり痴呆症になると前の性格が消えていくような気がします。隠れていた個人の欲求やわがままがどんどん出てきます。

食に関しても同様で、今まで嫌いだった食材を急に食べだしたり、お腹が空いて空いて仕方無いようで台所周辺を徘徊したりします。

何となく獲物を求めているゾンビのようです。

自分の親、嫁さんの母親と痴呆症の人を見てきた関係からか仕事をしている中で、「この人、ちょっとおかしい??」と感じるケースが最近多くなりました。ちょっとした痴呆サインと言うのでしょうか。

人生100年とか訳の分からない事で65歳過ぎても働かなくてはならない人が増えた。
自分では体が健康だから・・・と言っているが脳みそはどうなんだろう。

委縮したりしているのではないかと思います。

国は70歳過ぎても働かせたいという意向がある。
しかし、怖いのは一見、健常者に見えているが痴呆の初期段階の人が結構多くいる。

そんな人が70歳過ぎて75歳まで働く事になったらどうなるんだ?

ちょっとした間違いならいいが、人の命を預かっている運転の仕事等は70歳を過ぎたらしない方が良いと思わないか?

その事が原因で死亡事故が発生しても、自己責任、個人の負担です。

国は高齢者を働かすのであれば、健常者なのか痴呆予備軍なのかある一定の年齢になったら検査をすべきだと思います。そこで予備軍のグループになった場合には、年金支給も早めてあげる、仕事もそこで終わり、隠居生活にする等してあげた方が人間的ではないかな。

何でも増税・増税で年金支給を段階的に遅らせる方法だけではまずいだろう。

それとも障害者と同様に痴呆症の人も雇用するように仕向けるのか?
若者が少なくなっていくので支える側もゾンビだらけでは大変である。

人様の迷惑にならないようにしたいと自分では考えているが、痴呆になればそんな事も忘れてしまうかも知れない。
そろそろ安楽死の事も社会全体で考える時期に来ていると思う。

11月 122016
 

私が住んでいるのは神奈川県ですが、平日の昼間は高齢者ばかりが闊歩しています。

本当に昼間は若い子が少ない。

皆さんの地域はどうですか?
商店街通りなんて人も少ないし、歩いているのは高齢者ばかり。

公園に行けば、犬を何匹も連れて散歩をしている高齢者もいる。

昭和の時代にも高齢者は沢山いましたが、家族の中でおじいさん、おばあさんとしての地位があって、子どもの世話をしたり一緒に生活していた事もあり、犬を子ども同然のように飼うとか、一人でどこかに出掛けるなんて、あまり無かったように思います。動物を飼っていても、普通に番犬とかとして家族全体で飼っているような形で、子どものような扱いの飼い方はしていなかったように思う。

それが最近では高齢者の独居、いわゆる一人暮らしになっているケースが多くなり、家に居てもつまらない、やる事がない、しゃべらない、という環境になり上記のように犬や猫を子どものように扱ったりして淋しさを紛らわしている。

高齢者の独居生活が一段と痴呆化が進めてしまっている。

我々も注意しなくてはならないところがあるが、やはり人間は「人との接触が大事」という事。
つまり、下らない会話をしたり、好きな人同士で趣味の会話をしたりするのが、脳の老化を防ぐことにも繋がっている。

痴呆が進行してくると、健常時と明らかにおかしい時と体調によって変わってくる。
健常でいられる時間が少なくなってくると、家では対応が難しくなってしまう。
そこの重要な判断を今までは一緒に住んでいた家族が行っていた。

今は、一人暮らし、もしくはお互いで老々介護をしているような高齢者が多く、自分で自分の痴呆の進行による問題など、自己判断等できる訳もない。

痴呆の人は、自分を痴呆であると思ってはいない。

そのために行政で高齢者支援センターなどを地域に作り対応している。
これも、それも全て税金で賄っている事になる。

今度は病院にかかる費用を減らすために、自宅で介護をできるようにする仕組みが進められているのだが、どちらにしても費用がかかるのは事実です。

自分の親の最後はその子ども達が行う事になれば解決するのか?

すると、子どもの経済状況に左右されるという事になる。
非正規が40%を超えている今は、昭和の時代のような事は出来ない。
家族を養うことすら大変、自分だけでも大変という世の中である。

若者の仕事形態を非正規から正規社員にする事も重要なのではないか。
多少なりとも経済的に余裕が出来れば、子どもを作る、そして子育てが終わった頃には、じじばばの介護が始まる。

今の仕組みで年金や医療費を徐々に減額されるのがいいか?
それとも在宅で子ども達が面倒をみる昭和的なやり方が良いのか、それは個々の判断となる。
何があっても親は親、そう考えると親孝行は出来ない代わりに面倒をみるという事もありかと思う。

そのことによって、国も介護ところに税金は不要となるので、年金の減額はしない。
そうしないと、金のかかる事は個人に押し付け、今までかかっていた税金を違う使途に使うからだ。

街の高齢者の問題に話は変わります・・・・

朝、早くから高齢者の人が自転車に乗ってどこにいくのか?
自転車もゆっくり、ゆっくり早歩きの私と同程度の速度です。
自動車やバイクが来ようがはっきり言って「我が道をゆく!」状態。
道路のど真ん中で立ち止まったり、十字路で友達と立ち話をしている。
そこを通行する車や十字路を曲がりたいトラックの道を塞いでいる。

一般の人や車が避けて行かねばならない。

用事も無い高齢者が意味も無く徘徊しようとしている。

最近は、高齢者による車の暴走事故が多い。
目や耳、高齢化による衰えで判断能力も下がってくる。
その上、痴呆が入ってきていたら常識的な判断は不可能である。

自動車の場合には、暴走すれば凶器になる。
しかし、徒歩や自転車の場合には、健常者である我々にも加害者という被害が及ぶ可能性がある。

もう、80歳以上は乗り物は全て不可で良いのではないか?

免許が必要な車、バイクは勿論のこと、自転車も不可にすべきだと思う。
本人達も転べば骨折間違いない。
歩けなくなれば、痴呆も進行し体も動かなくなる。

高齢者である本人に自覚させる事も重要な事だが、家族で乗り物に乗せない、用も無いのに徘徊させないという仕組みを作るべきだと思う。

家族が言っても言う事を聞かない高齢者に第三者がきつく理解させる仕組みが欲しいと思う。