昭和の時代 –          おやじdemo_CentOSを使う
4月 292024
 

5月の連休真只中です。

まだ始まったばかりですが、皆さんは何か予定を立てていますか?

私はどこかに行くとか友人と会うとか予定を先に決めてしまうと駄目なタイプです。
前からそうなのですが、予定日が来るまでの間で疲れてしまうんですよ。

だから、「急に行こう!」とかの方が私には合っている。

大型連休と言えば5月のこの時期と年末年始になりますが、昭和の時代と違って最近ではどのお店も営業していあり、休日なのに仕事をしている人が多くなりました。

介護職の人もほとんど休日無しで誰かしら仕事をしている。

あとはサービス業の方々です。
ホテル・旅館業の人、テーマパーク等やデパート百貨店・飲食業等でしょうか。

売上が上がるのは良いことなのでしょうが、働いている人たちはどうなんでしょうか。

この期間は特別に時給や単価が上がる訳ではありませんよね。

人が休んでいる時に働く。
まぁ、聞こえは良いですが本人にとっても家族にとっても良いことではありません。

仕事が趣味の人は良いのですが、そうでない人は辛いですよね。

年に2回ある大型連休は、どこもかしこもお休みにするというのはどうなんでしょうか。

私が子供の頃の正月はそうでした。
どこのお店もお休みです。
お年玉をもらっても使う場所が無かった。

だから、その間は家族と会話や近くを散歩などしていた。

そんなのんびりする時間が今思うと良かったのだと思う。

現在は、利益になるためなら経営者は社員を牛や馬のように働かせている。
でも、自分はのんびりしているんですよ。

〜日本の人口が減少している。

段々と今と同じような仕事のスタイルの維持が出来なくなってくると思う。
そのために外国人を雇用するという手法をやっているが、円安になり逆に日本から居なくなる。

そうなると少なくなった日本人だけで仕事を回すことになる。
逆に段々と休みが無くなっていくのではないか。

特にサービス業・飲食業・福祉介護などがそうであろう。
その分が給与や時給に反映されれば良いが、ケチな経営者はそうはしないだろう。

こうなったら、皆さん、無理をせず、有給休暇を取りましょう!
働く人が居なくて困るのは経営者です。

少しは困らせることをしないと待遇は良くなりません。

私としては、大型連休はすべての仕事をお休みにすべきだと思っている。
年の半分で休憩を取るのは健康そして精神的にも良いはず。

人が休んでいる時に働いている人はもっと待遇を上げるべきだと思います。

11月 162023
 

皆さん、学校教育で何か駄目なこと、抜けている事って考えた事はありますか?

私は、大学を卒業して社会人になった時に思った事がありました。

それは人間関係や人付き合いについてです。

学生の頃には部活動に入らなければ先輩後輩、お互いの立場の事も分かりませんし、社会人になれば、上司という立場の人も現れます。

ましてはサラリーマンであれば生き方が全て正直であれば良いという事でも無い。

いや、逆に正直に生きていても良い事にならないケースの方が多いと思う。

自分が子供の頃には(昭和の時代)近所の子どもたちを纏める先輩の子どもが居て、人間関係や一人一人の立場を上手く操作してくれていた。

だから近所での子ども遊びには喧嘩や虐め等は一切無かった。

いつの間にか小学校から中学校に入った頃には、自分の環境も変わり近所の子どもたちとは遊ばなくなり、近所から少しエリアを広げた地域の子どもと遊ぶようになる。

もう高校生になると他地域からの人が多くなり、自分の好き嫌いで友達を決める。
大学生になってもそうだろう。

自分が嫌いそうな人、見た目が嫌いな人とは接しなければ良いだけだった。

それが、社会人になると自分の好き嫌いを超えて嫌いな人の方が多い世界になる。

いかに嫌いな人と上手な付き合いが出来るかが課題である。
社会人だから、この付き合い接し方で偉くなるかどうかが決まる部分もある。

私のようなぼっち好きな人は令和の時代にはとても多いと思っている。

ぼっちになる理由は一人が好きなのでは無く、一人でいた方が気が楽であるからだ。

気が楽というのは、人付き合いが下手でもあり、相手に気を使ってしまい疲れるので一人の方が楽であるという意味である。

人間関係は家庭環境や小学校・中学校・高校(大学)とどんな人と接してきたかで決まる部分があり、人それぞれ違う。

だが、大人になるにつれ、嫌いな人とも付き合わなければならない事に変わりはない。

嫌いな人・嫌な人との接し方は自分が経験してきた事が全てである。

誰からも教えてもらう事も出来ず、自分で悩んで前に進めるしかない。

私の様な還暦過ぎのおやじがは、強いて嫌いな人や好きでない人と接する必要性は無いと思っている。

しかし、40代、50代の人は会社にいる以上、まだそういう訳にはいかないだろう。

だから、ストレスや睡眠障害、自律神経失調症などの病気として体に現れてくる。

中学・高校では大学受験などの暗記物の勉強が中心となるが、人間関係について、性格が合わない人との付き合い方を教えて行く方がよいのではないかと思っている。

大人になってもパワハラ等で辛い思いを我慢している人も多いと思う。

国内にも外人も多くなった。
習慣や慣習が違う人間と一緒に生活や仕事をする場面も増えてくる。

せめて自分の子どもには人付き合いについて自分の経験等の話をしておく機会を作って欲しいと思う。

9月 252019
 

実は私の家は町の自転車屋だったんですね。
町の良くある個人経営の自転車屋さんで修理をしたり新車、中古車、バイクも販売していました。

そんな環境で育ったので、自然と機械いじりが好きになったのかも知れません。

自転車に関しては私が中学、高校の頃の方が値段が高かったように思います。
今のようなママチャリが主流ではなくて、流れるウインカーが付いていたり、ブレーキがディスクであったり凝った作りの自転
車だったように思ってます。自分でスピードメーター付けている人もいました。

それが、いつの間にか安い海外生産のママチャリに席巻されてしまい、日本国内の自転車メーカーは本当にダメージを受けたのだと思います。打撃はメーカーだけではなくて、卸問屋や町の自転車屋さんも大きなダメージを受けたと思っています。

★昭和時代の自転車=高価で大事に扱っていた乗り物
★平成時代の自転車=使い捨て、壊れたら買う乗り物

使い捨ての乗り物になってしまった事で、町の量販店やちょっとしたスーパーでも販売するようになってしまいました。昭和の時代には大事に扱い、修理をして長く乗る個人の乗り物でした。一時は量販店で購入した自転車の修理はし ないという町の自転車屋さんもあったほどです。(自転車協会とかで決めていたのかも知れません)

そして景気が悪くなり安価なママチャリが若い人にも普及、それが自転車の中心になっていきました。その反面、高価なロードスポーツやマウンテンバイク等趣味の世界の自転車も少なからず増えていきます。

★趣味としての自転車は非常に高価と二極化する

その内、電動アシスト自転車が販売されるようになります。
出始めの頃は、電池が大きく重たい、乗れる距離も短いものでした。電池が切れると普通の自転車よりもこぐ力が必要で電池が生きていないと乗れない自転車でした。

そして、その電動アシスト自転車が色々なサイズで販売され現在に至っています。

★電動アシスト自転車が売れ始めると原付バイクが売れなくなった!

今まで原付(50cc)バイクに乗っていたおじいさん、おばあさん等は電動アシスト自転車に切り替える、近場の通勤で原付を使っていた人も燃料費を考えて電動アシスト自転車に移行、YAMAHA、HONDA、SUZUKIの原付が全 然売れなくなってしまう。

この頃から業界はバイク生産を海外に移していく。暴走族=バイク=悪 という論理になっていく。
日本では高校生に3ナイ運動(バイクに乗らない、買わない、免許を取らせない)という事を押し付けた結果なのかも知 れません。

★日本は屈指のバイクメーカー国なのにとんでも無い事を啓蒙していた

こんな環境で長い期間、バイクが売れない時代をメーカーは我慢して作ってきたんですね。
しかし、最近では原付は日本独自のガラパゴス仕様なので、売ってもコストに見合わない=生産を中止したいと業界から要望もあり、アジアで主流の125ccの小型自動二輪を日本でも主流にして行こうかという方向に向いてきた訳です。

★そして令和時代となり、小型2輪がくるのか?果たして電動アシスト自転車時代となるのか?

電動アシスト自転車と電動自転車では全く意味が違うので注意して欲しいと思います。

電動自転車は駆動がフル電動=ペダルをこがなくても走る=免許・ナンバーが必要
電動アシスト自転車=ペダルをこぐ補助動力として駆動する。

中華製品で「電動自転車」と言うと、このフル電動化された自転車形態のバイクを表する事になるので注意が必要です。「見付からなければ大丈夫」とか言っていてもヒヤヒヤして乗っているのはいかがなものですか。

令和時代は高齢化社会になる幕開け時代です。
町の商店街も高齢者の人達で交通ルールがあって無いような状態になっていますよね。

そんなところへ高齢者が電動アシスト自転車で走られると非常に危険だと思います。
電動アシスト自転車も免許とは言わずに資格制にするとかしないと思いますが・・・・。
女性(子どもを乗せた)の運転も勝手な人多いですし・・・・。
自転車にも任意保険がある時代ですからねぇ。

皆さんはどうお考えですか?