自宅で介護 –          おやじdemo_CentOSを使う
4月 102023
 

約3年間、在宅で介護をしてきたお婆さんがグループホームへ入居する事が決まりました。

家での介護が大変になってきてから半年経過したあたりです。

この3年間は家族(私・家内・息子)で我慢の連続でした。
一番大変だったのは血の繋がりのある家内でしょうか。

夜もトイレの度に起こされて、30分、1時間かけてトイレに行き、また寝かせる。
そんな作業が毎晩続いていました。

今までは週に2.3度、お泊りが出来るショートステイを利用していましたが、迎えに行ったり何だかんだで時間を取られていました。

今度は入居するタイプなので時々、外泊で家に戻ってくる事になると思います。

デイサービス(通所介護)やショートステイ(小規模多機能等)を利用している人は、家族が大変になってきたらグループホームの入居を早めに検討した方が良い。

家内は介護で自分の仕事の量を減らして対応してきたので、少し休んでからまた以前のように働けば良いと伝えました。

一番、喜んでいるのが息子で食事から何から婆さん中心から自分たち中心に物事が変わる事が嬉しいようです。

痴呆が入っていると本当に目が離せなかった。

足が不自由で無ければ玄関から出て行ってしまっただろう。
ちょっとした10分程度の買い物でも目が離せなかった。

婆さんは長い時間、看護師として働いて来た事もあり、年金も20万円以上もらえている。

この事もあり入居する費用等も捻出が出来た。

私が65歳で貰える年金は定期便でみると13.4万円程度で婆さんのようになった時には施設に入居するのは費用的に難しいと思っている。

これは家の家内も同じで、世代によってこんなに待遇が違うのだと痛感させられる。

私が80歳になる頃には日本の介護は一体どうなっているのか分からないが、人口が少なくなっている分、良い状況になっているとは思っていない。

介護の費用面を考慮しても難しいだろう。

やはり、男の場合にはポックリ逝った方が良さそうである。

それまでの間、楽しむ何かを作り一日一日良い日を過ごしたい。

またボッチでツーリング行けると考えると明るくなってきた。

2月 152023
 

前ブログでは自宅での介護について書きました。

これから介護をしなくてはならない人も現在介護をしている人も、将来的には自分たちもこのグループに入るという事を理解しておく必要性があります。

「俺は誰の介護も受けん!!」

そう息巻いている人ほど、後になって家族に面倒をみてもらわなければならない人が多い。本人はもう家族が大変であるとか迷惑がかかるとか、そのような事を思いやる気持ちは感情的にも無いに等しいです。

それよりも、そうなった場合の家族の対応について、元気な内に本人含め話合いをしておく方がよっぽど良いと思います。

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高齢者になると、直ぐに喧嘩口調になったり、自分が言った事を忘れたりするので、あとあと家族が一番困る事になります。

金銭的に余裕があるのであれば、高齢者施設に入ってもらうのが一番良い方法です。

誰にも迷惑を掛けずに生活する事が出来ます。
ただ、身内の感情として「これで良いのか?」と度々思う事はあるでしょう。

結局は「施設に入った本人が良かった」と思うかどうかです。

我々の年代では年金も少なくなり生活を維持するのも大変になると思います。
果たして、自分が施設に入るだけの資金を残す事ができるかも分かりません。

老夫婦だけで出来るだけ生活をして、もうどちらかが介護が必要になってきた時に子ども達に助けてもらう方法になるでしょう。

でも、ここが一番の問題でもあります。

大変になってきたところに世話しに同居してくれるでしょうか。
息子の意見は嫁さんの意見でもあるし、この逆もあります。

私としては、このような状況になる前に世話してくれる人たちと同居をして経済的に余裕があれば、それで子ども達を手助けする事も必要なのではないかと思います。

そうなるとお互い「いつも助けてもらっているから、今度は助けてあげないと」という気持ちになるのではないでしょうか。

健康な内に生活を一緒に始めた方があと後に良い結果になると思います。

大事な事を先延ばしにして良い事は一つもありません。

2月 132023
 

家に高齢の介護者がいると何もかも高齢者に合わせた生活になっていってしまいます。

私の家が今そうであり、平日は介護施設に一日おきに行き、昼間は家内がパートの仕事を減らし、面倒をみています。

土日は介護施設もお休みであったりするので、自宅で介護、面倒をみることになっています。

この生活が3年近く続いています。

当初はまだ認知症が進んでおらず、体もまだ動かせていた状況であったが、今は歩くのも座って立つのも介助が必要になってきました。

食事するのも一人では難しく、子どものように口に食べ物を運ぶまでにボロボロとこぼしてしまいます。

こんな様子を見ていると下手に長生きするのもどうかと考えてしまいます。

一番苦労しているのは家の嫁さんで、毎日毎日、トイレ行くにしろ、着替えるにしろ、風呂に入れるのも全てやっています。

たまには外でストレス解消をさせてやりたいと思ってはいるが、介護が必要な高齢者、そして認知症を発症している人を家に一人留守番させる事が出来ない。

よって、外食もドライブも家族で行く事が出来ない状態になっている。

今後は私のように自宅で高齢者を介護しなくてはならない人が増えるのではないかと危惧しています。

というも家の婆さんは看護婦をしていた事もあり、年金も私が65歳から貰える金額より全然多いが、老人ホームに入れるほどの財産がある訳では無い。

年金が少なくなればおのずと自宅で面倒をみなくてはならなくなる。
我々の世代がこの事に当てはまる。

人生で一番自由になれる65歳前後が縛られてしまう事になってしまうのだ。

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認知症にもなれば、段々とぼーっとしている時間が多くなって、会話も成り立たず、うつろな目で空間を見ている。

このお婆さんは看護婦で夜勤も多くこなしていた。
仕事が趣味という人間であった。

だから退職後は、家でやる事が無くなり、元々趣味も何も無い。

体が元気な時には体操など地元の自治会の集まりに出掛けていたが、そこまで歩けなくなると何もしない事で認知症が進んだ。

やはり元気な内に、一人でも楽しめる何かを作っておいた方が良い。
それが記憶や認知症を遅らせる要因にもあると思う。

家で何もせずぼーっとテレビを見ている、空間をただぼーっと見つめている等の症状がある人はもう認知症になっている。

そこまで行く前に頭う使う、手先を使う、体も動かす、会話をする事で脳の延命は可能ではないかと私は思っている。

いつも一人でぼーっとしている高齢者が危険なのだ。

自分も息子には「俺や家内が認知症になったら気にしないで施設送りにしろ!」と口がすっぱくなる程言い聞かせている。

そして認知症になったら、今までの父親・母親だと思うなという事も伝えている。

問題なのは人生で一番自由な時間になれる時に介護という仕事で自由が無くなる事だ。
介護時間が長ければ長い程、自由な時間は少なくなる。
下手したら、介護が終わる前に自分が認知を発症するなって事も考えられる。

まだ3.4年の介護で何を言うのか!

という事もあるのかも知れないが、子ども達にはこのような介護で自分の時間を潰して欲しく無いと私は思っている。

人間、人生80年くらいで丁度良いのかも知れません。