介護施設 –          おやじdemo_CentOSを使う
3月 122024
 

このところ老人介護施設の倒産などが目立ってきました。

私の家の近くのデイサービスや訪問介護(ヘルパー)も最近、事務所を閉鎖しました。

デイサービス(通所介護施設)については、コロナ禍以降、利用者が激減して、その結果、少しは利用者が回復したが、コロナ禍以前には戻らず、どの施設も赤字が続いている。

今後も良くなる見通しが無い事から辞める業者が増加すると思われます。
辞めるというよりも倒産するケースの方が多くなるでしょう。

デイサービスと言えば、高齢者で介護が必要になってきた時の入り口のような施設です。

朝から夕方まで昼食やお風呂を含めた介助が基本となります。

仕事をしていて、昼間の時間預かって貰える事、お風呂に入れなくても施設で面倒を見てくれる。

利用者本人も同じような年齢の高齢者と話が出来て家に居るよりも楽しいという。

その介護の入り口であるデイサービスが減少してくれば、これから高齢者になっていく私たちは一体、どのような施設を利用すれば良いのか?

また、訪問介護についても減少の一途である。

訪問介護は利用者の自宅に伺って介護の必要な人の面倒をみる仕事だ。

利用者は高齢者・障害者である。

この訪問介護についても介護業者に支払われる報酬額がこの4月から減少される。
コロナ禍で利用者が減少して苦慮しているのに、そこへ介護報酬の減額である。

少し前までは、高齢者の扱いを施設から自宅で行うようなスタイルに変えようとしていた。

それは施設に報酬を支払うよりも個人に支払った方が安く済むからだと考える。

しかし、訪問介護の介護報酬を下げるという事は居宅介護(自宅に居ながら介護する)を進めてきた事に対して逆の手法を取る事になる。

現在は、デイサービス・訪問介護・老健と斜陽な介護施設となっている。結局は国が行っているやり方では駄目だったという事ではないのか。

何しろ施設側からすると報酬をもらうのに申請・申請と書類の山である。
その上、介護職員の処遇改善をするにもまた書類・書類と書類を作らなければならない。

それでなくても人員が少ない介護施設に事務員の負担を増やすような事ばかり行う。

他にも介護施設の調査と称してアンケート等や障害者雇用等で逆に負担を強いる事もある。

我々、還暦過ぎの人間が介護が必要になる75歳以降に介護施設がどのような状態になっているのか見当がつかない。

自宅でひっそりと孤独死する事が推奨されるかもしれない。

私は元々、ぼっち好きなので孤独死は淋しい死に方では無いと思っている。

私には葬式は不要、斎場でお経をあげてもらってお墓への直行便で良い。
お墓だって、その内無縁仏になってしまう可能性がほぼ100%です。(大体、3代~5代)

海や川、木下に散骨とかの方が良いのではないか。

無駄なお金・時間を費やす必要は無いだろう。

ただ、呆けて自分が分からなくなった場合にどうするかが課題である。

1月 222024
 

家の家内の両親は要介護になってからデイサービス(通所介護)に通っていました。

というのも最初はお婆さんの痴呆から始まり昼間の介護が大変であるというお爺さんの関係でデイサービスに週に3回通わせる事になりました。

最初の内はルンルンで楽しいらしく通っていましたが、慣れてくると段々と行きたくなくなるような感じでした。

デイサービスは朝、車で迎えに来てくれて、帰りも送ってきてくれます。

その点は保育園などと違って非常に楽です。

大体、朝9時頃から夕方5時頃まで預かってくれている。

勿論、男性の利用者もいますが、女性の利用者と比較すると8:2くらいの割合でしょうか。
男性の方が全然少ない印象です。

女性は何人か集まれば、たわいも無い会話が成り立ちますが、男性の場合には一人で新聞や雑誌を読んでいて会話を楽しむという事はあまり無いようです。

男性の場合には以前に勤めていた会社の役職や地域の自治会などの役員をやっていた等の権威的な事で自分は普通と違うんだ!という扱い難い人が結構多いと聞きます。

高齢になって介護施設のお世話になっているのに、昔の名前で出ています状態から抜け出せない人が多いんですよね。

だから、周りの人と馴染めない。

こういうタイプの人は、結局、色々な施設をたらい回しにされてしまう事が多いみたいです。

性格が穏やかならまだ良いのですが、高齢になって怒りっぽくなっている場合や少し痴呆が入っていて自分の性格をコントロールできない人も多くいるそうです。

そして現状は・・・・

デイサービスという施設自体の経営が苦しい状況になってきています。

先ずはコロナが流行して以来、利用者が一気に少なくなった。
そして介護をする介護職員の人が少なくなったのだ。

これはヘルパー(訪問介護)にも言える。

元々、介護職の人は年齢が高い傾向があり、コロナ禍により「自分もコロナに感染するかも・・・」と一気に離職が進んだのだ。

利用者の家族の中には「施設に行くとコロナに感染するかも知れない」という事で施設に行かせない事もあるという。

一時、保育園の保育士の給与が安いと言われた事がありましたが、保育士の待遇よりも介護士の待遇の方が断然低いです。

休日も保育士の方が多く、介護士は祭日も仕事です。
それだけ多く仕事をしているにも関わらず、もらう給与は低いんですよ。

これでは優れた介護士を増やすなんて到底無理な話ではないですか。

かと言って、現在ある施設は存続しなくてはならない。
安い待遇にも我慢して作業をしてくれるアジア人(ミャンマーとか)を介護士として雇用している施設も多くなってきた。

これから我々の年代の人達が後期高齢者になり介護施設を利用する機会が増えると思われるが、その時に日本の介護施設が一体どうなっているのか見当も付かない。

いや、その頃には施設で介護を諦め、自宅で家族が面倒をみろ!という流れになっているかも知れない。

介護にも介護度というものがあるが、低い介護度では施設を利用させない方向に動くと考えられる。

親がそろそろ施設を利用しなければならない年齢になってきた人、家族のように面倒をみてくれる施設なんて無いと考えた方が良い。

介護する人数が少なければ介護も雑になってしまうのは仕方無い事だからだ。

それでも自分が普段通りの生活をしたいと考えるならば、老いた親には自分がいない時に施設に通ってもらうしか方法は無い。

自分の家で面倒が見れなくなった時に施設と言う姥捨て山に捨てるという覚悟が必要になってくるのかも知れません。

しかし、将来的には、まだ施設を利用できる人は運が良いのかも知れません。

2月 132023
 

家に高齢の介護者がいると何もかも高齢者に合わせた生活になっていってしまいます。

私の家が今そうであり、平日は介護施設に一日おきに行き、昼間は家内がパートの仕事を減らし、面倒をみています。

土日は介護施設もお休みであったりするので、自宅で介護、面倒をみることになっています。

この生活が3年近く続いています。

当初はまだ認知症が進んでおらず、体もまだ動かせていた状況であったが、今は歩くのも座って立つのも介助が必要になってきました。

食事するのも一人では難しく、子どものように口に食べ物を運ぶまでにボロボロとこぼしてしまいます。

こんな様子を見ていると下手に長生きするのもどうかと考えてしまいます。

一番苦労しているのは家の嫁さんで、毎日毎日、トイレ行くにしろ、着替えるにしろ、風呂に入れるのも全てやっています。

たまには外でストレス解消をさせてやりたいと思ってはいるが、介護が必要な高齢者、そして認知症を発症している人を家に一人留守番させる事が出来ない。

よって、外食もドライブも家族で行く事が出来ない状態になっている。

今後は私のように自宅で高齢者を介護しなくてはならない人が増えるのではないかと危惧しています。

というも家の婆さんは看護婦をしていた事もあり、年金も私が65歳から貰える金額より全然多いが、老人ホームに入れるほどの財産がある訳では無い。

年金が少なくなればおのずと自宅で面倒をみなくてはならなくなる。
我々の世代がこの事に当てはまる。

人生で一番自由になれる65歳前後が縛られてしまう事になってしまうのだ。

写真素材 pro.foto
認知症にもなれば、段々とぼーっとしている時間が多くなって、会話も成り立たず、うつろな目で空間を見ている。

このお婆さんは看護婦で夜勤も多くこなしていた。
仕事が趣味という人間であった。

だから退職後は、家でやる事が無くなり、元々趣味も何も無い。

体が元気な時には体操など地元の自治会の集まりに出掛けていたが、そこまで歩けなくなると何もしない事で認知症が進んだ。

やはり元気な内に、一人でも楽しめる何かを作っておいた方が良い。
それが記憶や認知症を遅らせる要因にもあると思う。

家で何もせずぼーっとテレビを見ている、空間をただぼーっと見つめている等の症状がある人はもう認知症になっている。

そこまで行く前に頭う使う、手先を使う、体も動かす、会話をする事で脳の延命は可能ではないかと私は思っている。

いつも一人でぼーっとしている高齢者が危険なのだ。

自分も息子には「俺や家内が認知症になったら気にしないで施設送りにしろ!」と口がすっぱくなる程言い聞かせている。

そして認知症になったら、今までの父親・母親だと思うなという事も伝えている。

問題なのは人生で一番自由な時間になれる時に介護という仕事で自由が無くなる事だ。
介護時間が長ければ長い程、自由な時間は少なくなる。
下手したら、介護が終わる前に自分が認知を発症するなって事も考えられる。

まだ3.4年の介護で何を言うのか!

という事もあるのかも知れないが、子ども達にはこのような介護で自分の時間を潰して欲しく無いと私は思っている。

人間、人生80年くらいで丁度良いのかも知れません。