性格 –          おやじdemo_CentOSを使う
5月 152023
 

私は野球を観戦する事やプレイするという事も現在はしていません。

子どもの頃、近所に野球好きだった先輩がいた影響で小学生の頃までは地元で野球をしていましたが、中学生になった頃から文化部に移動になりました。

野球自体が好きではなかったのか、そこから戻る事は今現在でもありません。

ただ、社会人となって数回はスタジアムに見に行った事はあります。

しかし、最近は大リーグの大谷翔平のプレイが毎日興味をそそります。

日本の野球選手でありながら沈着冷静で体格も良く落ち着いて見られます。

日本のチームが窮地に陥っても彼であれば何とかしてくれるだろうという気持ちにさせるところが凄い選手であると思っています。

彼のような人材は100年、いや1000年に1人くらいではないでしょうか。

1000年とは言い過ぎなのか?

私が強く言いたいところは野球の技術的な事ではありません。

彼の性格にあります。

人に対して優しく、気が付き、謙虚で偉そうなことを言いませんし、お金持ちでありながら野球に対して熱心で自分の身体を一番に考えているからです。

彼の年齢でここまで精神的な部分が出来上がっている人は1000年に一人ではないですか。

それと比較して日本のプロ野球はどうですか。

女性問題やら、引退した諸先輩方々のどうでもいい話など・・・。

もし、大谷選手が引退してコメンテーターになって話をする事があれば、今のような諸先輩方々のような事は絶対に言わないでしょう。

彼はまだ28歳です。

精神的に大人になる、人を思う気持ちがある、人に対して優しい、そんな28歳、近くにいますか?

普通ならばスーパーカーでも買って、綺麗な女性と遊びたい年頃ですよ。
でも、野球中心で努力を惜しまない、ストイックな部分もある。

女性から人気があるのが良く分かります。

日本のスポーツは巨人の星に代表されるようなスポーツ馬鹿が良いようなイメージが古くからありますよね。

特に昭和時代に活躍した人達はそのような教え方をしていきます。
所謂、精神論的な教え方です。

これは虐めの様なもので、今の現代科学に見合っていないどころか選手生命を縮める結果になってしまいます。

監督によっては、投手の肩を考慮して連投はさせないとか考える人もいますが、一方では未だに高校野球で若い選手に連投をさせるような事もやっている。

野球界も少しは考えた方が良いのではないでしょうか。

そして日本のプロ野球も野球の技術以外に精神的な部分を教える何かが必要ではないでしょうか。

プロ野球に限らず、プロが付くスポーツ全般に言える事だと思っています。

6月 302021
 

やっと忙しい時期が過ぎようとしています。

事務職としては、この決算期そして会議用の資料作り、管轄している行政への報告書の提出などあって、この締め日が殆ど6月の末日までとなっています。

世の中ではコロナ禍で手続きを伸ばしてくれる事もありますが、色々な調査書から決算報告、等はほとんどこの締め日までに作業を終えなくてはなりません。

小さな会社なので、作業はほとんど自分ひとりでやっています。

自分ひとりでも作業を簡略化するために名簿から宛名等はAccessでDB化をして宛名シールから原本証明書から全てを簡単に印字出来るようにしています。

問題なのは、この忙しい時期が分かっているのに違う仕事や作業を振ってくる上司です。

私の仕事量など理解はありませんし、何でも自分の仕事優先なので困ってしまいます。

もし、このお手伝いの仕事でミスなどあればそれこそ大変です。
自分が振って、やってもらってた仕事なのに文句を言う。

上司は80歳なのですが、何となく「前頭葉が委縮している」ような感じがします。

このような性格だから偉くなれて、金持ちになったのだと思いますが、歳を取り、周りからどう思われるのか考えた事が無さそうです。

もしかすると会社の役職が無くなった途端、自分のところに人が寄って来ないのが分かっているので、役職にしがみついているのかも知れません。

私的には仕事の上司というよりも、老人介護の一環というように思っています。

その方が腹が立たないし、私に仕事をしてもらわないと自分では何も出来ない高齢者である事が立証されてしまう。

高齢者の面倒をみるのは結構、大変です。

家では家内のお母さん(婆さん)の面倒があり、仕事先では上司の面倒をみなくてはならない。

いい加減、「ほっといてくれ!!」と思う事がしばしばある。

上司の面倒を沢山みたところで、給料が1円も上がる事は無い。

こんな性格の上司だから基本的にケチなのである。
高齢者になってもケチは変わらない。

いや、ケチ度は加速しているようにみえる。

いくらお金や資産があっても、家族から見捨てられ、よいよいになった時に一人ぼっちになって淋しい最後を迎える事になりそうだ。

生きている間にお金を使い、家族、関係者に今までのお礼をすべきだと思う。

しかし、ケチは最後までケチだろう。

人を蹴落とし、資産を作ってきた人の最後はどこも同じではなかろうか。

私は資産も何も無い。
ケチでは無い証でもある。

人の最後って結構、あっけないんですよね。

10月 052020
 

私には兄弟が3人います。

私はその真ん中になります。
昔は子どもが多かったので兄弟3人でも普通だった。

遊びもいつも兄弟で一緒だった。
兄の友人も私の友人も全てが一緒です。

家は自転車店をやっていたので店に大きく面積をとっていた関係で住居部分は狭く、兄弟が独立した部屋を与えられる事は無く、私は兄貴と一緒の部屋にいました。

その事が後々の自分の人生に影響をしていたと今は思っています。

と言うのも、「仕事を始めたら早く一人で生活したい」と思うようになっていったからです。

結果は・・・大学を卒業して結婚したのが早かった。
結局、一人暮らしをする前に結婚してしまったのだ。

それでも今の奥さんは好きな事をやらせてくれたのは有難く思っています。

子どもが生まれても、今のように「子育てを手伝え!」と言われる事も無く、私が趣味を好きなようにさせてもらっていた。

今思えば、ここで一人遊び完成形になったと思っています。

元々、アウトドアの遊びよりもインドア遊びの方が好きだった。
沢山の人と行うスポーツは子どもの時の野球だけで、学生になってからは興味が無くなった。

一人で自転車に乗る。
一人でバイクに乗る。
一人で釣りに行く。

アウトドアと言えば、こんな感じである。

少ない友人と時間が合えばキャンプにも行ったが、歳を取るにようになってから電話やメール程度で一緒に行動する事は非常に少なくなった。

そうなると中心は一人遊びになっていく。
ましては子どもが成人して仕事をし始めてからは家の人達は独立した関係となった。

一人でPC組み立て(一人だから独学)
一人でLinuxをインストール、サーバー設定(一人だから独学)
一人でバイク弄り・メンテナンスをする(見よう見真似)
一人でバイクのボッチツーリング
一人で本を読み
一人で音楽(メタル・ジャズ・ロック)を聴く
一人で家の修繕・改造をする
一人で庭掃除、草むしりをする
一人でブログを書く
一人で動画を視聴
一人でパチ・スロットにいく
一人で中古本屋巡り

私にとって家の大きさは問題としていない。

家が狭いから外出をしないとストレスが溜まるなんて事は無い。
横になって本が読める広さ(3畳程度か)でもあれば充分でもある。

歳を重ねる毎に友人知人でも疎遠になっていく。
これはお互い元気であればそれでいいという暗黙の了解なのかも知れない。

歳をとり老けた姿を見たくないという事もある。

だから、家族や子ども、その嫁などに偉そうな事を言わない事である。
身近な人に嫌われたら、それこそ本当に話相手も居なくなる。

親父は穏やかに一人遊びが上手な紳士であるべきだと思う。