痴呆 –          おやじdemo_CentOSを使う
1月 242024
 

ご同輩の皆様、前記事の介護施設の状況についてどう思われたでしょうか。

我々の年代が介護施設にお世話になる可能性もあって、今後の動向が気になります。
特に、介護の入り口になるデイサービスについては非常に厳しいと言えます。

厳しいと言うのは、経営的にも人材的にも厳しいという意味です。

介護にかかる費用は、介護度によって変わってきますが、この費用負担についても今後重くなる可能性が高いのです。

きっと後、10年~15年で施設も淘汰され小規模な施設は合併等で無くなり、大きな施設か地元の古くからある社会福祉法人の施設しか残らないと考えています。

そして、前記事にも書きましたが、我々の年代が介護が必要になっても「自宅で介護しろ!」という風潮になっていくのではないかと心配しています。

どう考えても自宅で夫婦同志で介護し合う老々介護が増え、どちらかが亡くなって初めて介護施設が利用できるような仕組みにならないか心配しています。

現時点で考えて大事なのが「健康」です。

65歳の年金受給者となった時から自分の健康状態を把握して、それ以上の病気が増えないようにする、または予防的な生活環境を整える事ではないでしょうか。

健康でいれば、死ぬ時も「ピンピンコロリ」で逝ける。

無駄な費用を出さなくても済むので夫婦お互いにメリットがあると思います。

そのためには食生活の見直しと運動を取り入れる事です。

運動と言っても激しい運動ではなく、自宅でも出来る筋力運動と歩く運動を毎日行う事ではないでしょうか。
(目安としては毎日3000~5000歩・少し汗が出る程度の速度で行う)

それが億劫になった時に体の老化が一気に進行すると思っています。

一人でやるよりも奥さんと一緒に同じ時間、同じ負荷で行う方が良いと思います。

歩く事に関しては、朝早く通勤通学時のわざわざ車や人通りの多い時間帯でやらない事です。
通行人の迷惑になったり、冬のこの時間は寒いので逆に体に悪い。

夫婦でやるなら近くの大きな公園まで自動車に乗って行き、運動してお茶して帰宅するという流れの方が奥さんも楽しめるのではないでしょうか。

あとは睡眠です。

高齢化すると眠れない人が増えてきますが、眠れないのは身体が疲れていないからです。
運動を始めれば自然と眠気が襲ってきます。

眠れなくなると今度は痴呆化が進みます。

眠れないから睡眠薬を使う人もいますが、決して使ってはいけません。
(特に女性が多い)

運動する時間、眠る時は夫婦で一緒に行動した方が良いと思います。

もしもの時の対応(倒れた時とか)や時間を共有する事で会話が増えるからです。
会話の中からでも痴呆の一端が分かる可能性があります。

早く痴呆に気が付いたら今は痴呆の進行を遅らせる薬があるので対応が出来ます。
そのまま放置せず「ちょっとおかしいな?」と思ったら本人に話して早めの対応をしましょう。

目指すは80歳まで健康で遊んでいられる環境を作ることです。

4月 072023
 

男の人生は大体80~90歳くらいでしょうか。

親の遺伝などで病気や寿命も変わってくると思いますが、平均的には80歳から85歳前後が中心ではないでしょうか。

そんな状況ですが・・・・今後はどうなるでしょうか?

訳の分からないワク○ンを打っていましす、食べ物には農薬や添加物が大量に混じっています。その上にコオロギまで食えという事に・・・。

どう考えても寿命を削るような行為をしているしか思えません。

そんな陰謀論のような事をしなくても、80歳を過ぎたら病気になっても治療はしないとか、自然に死ぬように仕向けて行けば良いと思うのですがどうでしょうか。

もし自分が病気になって寝たきりになったりしたら、その状況で長く生きようとは思いませんし、家族や息子たちに迷惑を掛けたくないと考える筈です。

世界的にみても日本人の寿命が延びていますが、無理やり延命するような事は止めた方が良いと思います。それこそ金の無駄ではないでしょうか。

無駄とは言い過ぎですが、入ってくる社会保障費も人口が減れば少なくなる、それを補うために社会保障費を上げるのもどうかと思う。

寿命が延びた事で痴呆症の高齢者が増えてしまう。
痴呆の高齢者が増えれば介護施設にお世話にならなくてはならなくなる。

日本人の人口が減っていく中で、待遇の悪い介護職に誰がなるのか?

介護施設で面倒をみなければ、自宅で家族が面倒をみなくてはならない。

一人の高齢者が居るだけで食事からお風呂、トイレの世話など一連の動き全てに介助が必要になってくる。

勿論、休日も無しです。外食も出来ません。

でも、仕事には行かなくてはならない。

どう考えても先の無い高齢者のために人生を捧げてしまうような話になってきます。

介護をした事の無い人は、「親や肉親なのに可哀そうだ」とか「施設に入れないで面倒はみれないのか?」と言う。

これは特に女性に多い意見です。

私的には、そういう思いは最初の3か月~半年程度しかない。
その期間を過ぎると「いくら親とは言っても・・・・」という感情になる。

痴呆が入って、人格が以前と違ってくると尚更そう思う。

「この人はもう自分の親ではない。違う人格者に支配されているゾンビである」と思うようになってくる。

遠く離れた兄弟姉妹からは、施設に入れる事を反対する人が多い。

理由は簡単で、日常の介助を何一つしていないので大変さが分からないのだ。
だから、前述の「可哀そうだ」という気持ちに支配される。

最後の最後に兄弟姉妹の仲間で険悪にしていく。

高齢者の介護をしなくてはならない人、しなくても良い人が存在するが、非常に不公平であると思っている。

孤独死で死ぬと淋しい死に方であると思われているが、私は誰にも迷惑を掛けずに一人で逝くのは決して悪く無いと思っている。

10月 142020
 

医学が発達して人間の寿命も延びました。

戦国時代では人生50年と言われていましたので、倍近くになったという事です。

寿命が長くなった分、中年からの人生が長くなり悩むことも多くなります。

余計な事は考えない方が良い。

そう思っていても「お金」、「家族」、「病気」、「仕事」で悩みが無くなる事はありません。

こんな悩みを抱えた人生ってどうなんでしょう。

人生50年の戦国時代の人は、一気に自分の人生が終わる感じで毎日、毎日に悔いが無いように生きていたはずだと思っています。

今の人生が生き方として良かったのか?正しかったのか?

そう考えたりする事はありませんか?

だいぶ前の記事で人生の分岐点で考えさせられる事、もし違う選択をしたならどうなった人生を送っているか考える時があると書きました。

誰でも人生の分岐点って持っているものだと思います。

「あの時、こうしておけば良かった」
「あの時、この女(男)を選んでおけば良かった」
「あの時、あの会社に入社すれば良かった」

尽きる事なく湧き出てきます。

「今、この結果が最高であり自分が選択した最上級の状況である」と思っていたい。

人生が長くなればなる程、人生の分岐への思いは多くなると考えます。

老化し体の動きが鈍くなっていく度に頭の中で考える事が増える。

そして今・・・・

人生100年時代と言われていますが実際はどうでしょうか。

長く生き過ぎてゾンビのような状態の人もいる。
痴呆が進んで家族も分からない。

だけど、外見はその人のまま。

姿、形は同じでも中身が変わった別人格の人間である。

「痴呆にはなりたくない」
そう思っていても知らない内に痴呆になっている事だろう。

自分の身体が知らない間に痴呆という生物に寄生されてしまうのである。

そんな状態になるのであれば、人生長くない方がましである。

私はどちらかと言うと「運命論者」である。

生まれた星の元で、死ぬ時は決まっていると考えている。

どんな病気でも生きる人がいれば、大した病気でもないのに死ぬ人がいる。
事故で死ぬ人、生きる人。

そのような人達は寿命の蝋燭が長いのである。

痴呆という生物に寄生されてしまった人は、まだ死ぬ時間では無いので生きながらえているのである。

死という最大の恐怖と心配事を忘れるために。