大行際が悪くなった日本人
高齢者の害という点では昭和の時代にも無かった事ではありません。
ただ、その時代は家族の中に高齢者が居るというのが当たり前の時代だったので、「しょうがない」と考える人が多かった事と気持ち的に今の時代よりも大らかだったと言えるのではないでしょうか。
それが現在の令和時代では・・・・・
高齢者の害という点では昭和の時代にも無かった事ではありません。
ただ、その時代は家族の中に高齢者が居るというのが当たり前の時代だったので、「しょうがない」と考える人が多かった事と気持ち的に今の時代よりも大らかだったと言えるのではないでしょうか。
それが現在の令和時代では・・・・・
普通にメールが出来てワード、エクセル、アクセスが動けばwindows10だろうがwindows7だろうが本来は関係ありません。極端な話、ネットに繋がっていなくてもローカルネットワークだけ繋がっていれば充分であると思っています。
ネットが必要な時は、メールの送受信と会社のホームぺージの更新時くらいでしょうか。
そう考えると古くても使い易いOSを使っている方が良いように思えます。
問題はセキュリティですよね。
備蓄が無ければ避難所に行けばいい!
そう思っている人がいるかも知れませんが、避難所は自治会で運営をしています。
詳細は避難所運営委員会という自治会がいくつか集まり運営する事になっています。
そうなると自治会に未加入の人は後回しにされる可能性があります。
備蓄の量も限られているので、雀の涙ほどの食料が分け与えられるかどうかでしょう。
私のようなボッチタイプが好きな人は、備蓄を多めにして家に立て籠もるつもりでいた方が精神面で楽です。
ワクチン接種で死ぬなら、普通に生活をしてコロナウイルスに感染していた方が安全だったと言えるかも知れませんよ。今回のオミクロン株だって重症化は少ないと言われている。それなら、二回のワクチン接種をしている人はオミクロン株になってしまっても、自然と抗体が出来るし、その方がワクチン費用が要らない上、手間も省けるだろう。
普通の会社であれば、12月29日~1月3日までの6日間はお休みになると思います。6日間の休みの中で土日の曜日がどこに位置するかで休める日が多くなるか?少なくなるか?変わってきます。一番良いのは、1月3日が金曜日だったりすると、4.5日と休みが増えて6日出勤という事になります。
しかし、5日の夜はブルーな気分になりそうです。
一度、辛い体験をするとちょっとした事では動じない心(精神的に強くなる)になるからです。生まれた時からこの試練は決められていたと思った方が良いのかも知れません。
辛い経験をすると何気ない普通の日常生活がいかに幸せなのかという事を実感します。
病気になった場合とかもそう感じますよね。
日頃からその気持ちを忘れずにいれば、仕事がどうの、家族がどうのという悩みは感じないと思うんです。
マウスを広い部屋に、沢山の家を作り、エサも豊富に与え、外敵がいない状況を作った実験の動画がありました。最初は、マウスも居心地が良く、マウスの数も増えていきます。その内、マウスの中から親分的な存在のマウスが何匹か現れ、自分の城を作り、雌のマウスを何匹も傍に置くようなマウスが現れたり、逆に小さな部屋に閉じこもるマウスも現れたりします。
人間社会と同じような構図ですよね。
さて、このコロナ禍であった約2年間で我々の生活スタイルは大きく変わりました。
特に変わった事と言えば・・・・・
・家で過ごす時間が長くなった
・会社等で行う飲み会が無くなった
・リモートで仕事が出来る環境になった
・マスクを常時持ち歩く事が普通になった(手の消毒も)
こんなところでしょうか。
体は健康でも脳は見えないから健康かどうかは判断できない。呆ける人は体が健康体(内臓が強い)人が多い。外見は健康そうだが、脳みそが委縮している高齢者が多くなっているのだ。急にキレる高齢者も前頭葉が委縮しているからだろう。
この1年半のコロナ禍で仕事もリモートになったり、飲み会が無くなったりしましたよね。
ちょっとした食事会等も全て無くなりました。会社のみならず地元の自治会の会合やらイベントも無くなり、疲れ切った体を休ませる事も出来ました。この収束期間が続けば、勿論、自治会の会合もイベントも復活するでしょう。
お金があっても趣味も無い孤独な人もいれば、金が無いがやりたい事は沢山あるという人もいるでしょう。お金を沢山使えるから楽しい訳ではありません。お金の事を考え、範囲内に収めながら細く長く楽しむ事が大事ではないかと。
自分が20代の頃はFIRE的な考え方なんてありませんでした。結婚して子どもを育てていく事と自分たちが食っていく事ばかり考えていて、頭がそこまで働いていなかった。逆に、FIRE出来たとしても、「怠け者」の烙印を押されてしまうだろう。私が生きてきた昭和から平成、そして令和に時代が変わり、考え方が変わったのだと思います。