性格 – ページ 2 –          おやじdemo_CentOSを使う
5月 052020
 

私は今年60歳となりました。

外見は白髪が目立つようになってきたものの、お腹が少し出ている程度で普段はGパンなどを履いている若作りおやじです。

今日も午前中に愛車のバリオスを磨き、早速、定期走行を50Kmほどしてきました。
走行するのはエンジンの良い状態を維持するためのものです。

旧車のキャブレター型のバイクであれば、キャブレター内のガソリンの質が低下する前にエンジンを掛けて少し走行する事によって調子を維持する事が出来ます。

仕事疲れで動きたくない時以外は、1.2時間程度の走行をしています。
気分転換にも丁度良いし、走っている時には何も考えず嫌なことも忘れられる。

元々、一人で乗る乗り物であるバイクが好きなんでしょうね。

バイクを午前中磨いている間に上司からSMSが届きました。

内容はメールの同時送信の事で大した用では無かったのですが、何となくピ~ンと来たものがありました。

それは、暇で誰も相手にされないから誰かしらに連絡をしてみる。ということです。

私の上司は、仕事が趣味と口癖のように言う人です。
趣味といえるのは海外旅行であるらしい。

しかし、旅行という趣味はいつも出来る趣味ではありません。
ましては、今のようなコロナ禍の時に行ける訳もなく家で悶々としているんでしょうね。

家の人にも口うるさいので相手にされない。
だから、部下である私に連絡を取ってくるという流れです。

上司は口癖のように「仕事を辞めると老けるから仕事を続けた方が良い」と言うのですが、これも違うと私は読んでいます。

上司は仕事を辞めたら仕事関係でしか繋がりが無いので誰も相手にされなくなると腹の中では考えているのではないでしょうか。

私もそう言った時に、「家で一人でも出来る趣味は何か作った方が良いですよ」と何度も言っているのですが新しく何かを始めるような事はしませんし、難しいことパソコンの事も人頼りで自分で調べ考え実行するような事はありません。

この歳なのでいろいろな会社で上司を見てきましたが、こんな性格の人は非常に多いのです。

このような性格の人は「俺が、俺が・・・」というタイプ多く、会社での立場や役職などには恵まれるのかも知れませんが、年老いた人生の最後に寂しい思いをするタイプであると私は思っています。

歳をとっても平民になれない性格と言いましょうか。いつも人の上に立ちたいと考えている。 介護施設に入っても周りと上手く行かないのはこのような人です。

多分、家族の中でも浮いた存在になってしまっている。
「何を言っても言うこと聞かない」など強情であったりする。
会話をしてもいつも上から目線の会話なので話が弾まない。
家族に段々と相手にされなくなってきてしまうのだ。

人生は人それぞれですが、歳をとったら早めに隠居するようなスタイルの方が良いです。 息子、娘に家長は譲り、悠々自適な生活をしていた方が精神的にも楽です。

自分が死ぬまで家長は譲らずに家族を困らせる。
これが老害である事に自分自身が気が付いていない。

今のようなコロナ禍で一緒にいる家族はとても苦痛であろう。
本人もきっと家族の雰囲気を察知して自分の部屋に籠っているのかも知れない。

お互い仕事と称して外に居る時間が長いと欠点が現れにくい。
一緒に居る時間が長くなると相手が良く見えてくる。

歳をとっても思いやりの気持ちをもち、他人に迷惑を掛けることをしないと自分にも言い聞かせている。

ご同輩!お互い注意していきましょう!

4月 202016
 

九州、熊本周辺の方々は大変な生活を送っていると思います。

毎日のそれも何分か間隔のように来る余震(本震)も精神的に辛いものがあるはずです。
建物の中では休めないから、避難所にゆく、車に泊まるという事になっています。

避難所の風景が映りますが、皆さんはどう見られていますか?

避難所に沢山の避難者が来てスペースが無い。
食料品を含めた物資が足りないようだ。
生ごみ、トイレなど衛生面で病気が心配になってくる。

もう少し安全な場所は無いのか?と思ってしまいます。

避難所については、このブログで以前書きました。

避難所って災害時にどうなる?

その中で、私は以下のように書きました。

以下一部引用抜粋

防災は個人の意識の問題であり、何事も行政がやるからいいだろう、みたいなお任せな輩が多いので、本当に災害が起きたら避難所、避難場所などは大騒ぎ状態で「早く、食い物だせ!」やら「毛布が無いぞ!」みたいなわがままじじばばや若い奴が吼えまくる姿が想像されます。

なんと言っても、「避難所には行かず、1ヶ月自給自足できる備蓄をする」ことを勧めます。もちろん備蓄品は家族により多い少ないはあると思います。

避難所に行けば、病気の人から衛生面悪化により感染症が増える可能性があります。
また、平和ぼけしている行政も多いので備蓄もいい加減で沢山の避難者が来た場合には食糧、水、毛布など物が足りずに取り合いが始まる事も考えられます。

日本人はそんな事は無いと思っている方も多いかも知れませんが、生きるか死ぬかみたいなサバイバルな状態と災害の精神的な状況下で、きちんと並んで配給を受け取り、弱い者を助けるという美しい姿でいられるかどうか。
住んでいる家が壊れて住めなければ避難所を頼るしかない。
ただ、余震でいつ壊れるか分からない状態で壊れていない家にも住めない。

困ってしまうのは、避難所のような共同生活に不慣れな人達です。
不慣れというよりも一人が好き、一人でいる方が精神的にも楽という人達です。
家も無い、アパートも壊れた、行く場所が無いが、人と上手く接する事が苦手である。
避難所ではボランティアとして一生懸命動く人もいるが、自分は何をどうしていいのか分からない。
何もしない不謹慎な奴を思われているのではないか?と考える。
ボランティアの手伝いをしたくない訳では無い、ただ足でまといにはなりたくない。

どちらかというと私もそんなタイプだと思う。
「お前はあれをやれ!」だの「あの荷物ここに運べ!」など命令など出来ない。
ましては、人と人との間に入り調整するなんて無理。
ただ、私は独身の人と違い、息子や家内がいる分、無理をしても動かねばならなくなる。

「私のような性格の人は他の人や行政に頼らない」という事を念頭に置いて、災害(地震や台風など)時に何が起きても耐えられるだけの装備や備蓄をする必要があるという事。私は常々、息子や家内にも言い聞かせている。

家やアパートが倒壊しても食べ物や必要な資材を潰れないで取り出せる箱に保管するとか、車のトランクの中にキャンプ道具一式など置いておくとかする。

食材、水は2週間以上、人や行政に頼らなくても大丈夫な量を保存する。
人が居なくて静かな安全な場所を見つけておく。(これが結構大事)
自己責任の究極の姿ではないか。

はっきり言って一人サバイバル状態。

しかし、淋しくは無い、一人でいる方がお気楽なのである。
食べたい時に食べて、眠たい時に寝る。
情報はラジオやスマホから得られれば良い。
一人生活だからウイルス等の感染症も防ぐことが出来る。

共同生活では絶対に出来ない当たり前の事ができるのだ。

水が無い、食料が無い、燃料が無い、薬が無い、の無い無い状態では究極の自己責任は果たせないので日頃から備蓄をしておくようにしたい。