令和時代 – ページ 2 –          おやじdemo_CentOSを使う
9月 292020
 

私は昭和生まれですが、人付き合いが面倒くさいと考えるタイプです。

人と一緒にいれば自分はとても気を使ってしまうタイプです。

だから、一人でいた方が楽なんです。
昭和生まれの最先端を生きてきたのかも知れません。

家の奥さんも私が一人で音楽を聴いたり、本を読んだり、PCをしたり、バイクに乗ったり、一人で居る事に関して文句は言わなくなりました。

若い頃には、「自分だけ・・」とか良く文句言われてました。

一人でいる事、一人ボッチという表現もありますが、私にとって一人ボッチとは、自由そのものだと思っています。

他人に忖度しなくてもいい。
自分の好きな事を好きな時間に何でもできる。

一人で好きな事をやっていても誰にも文句は言われない。

それが趣味であろうと仕事であろうと一人で熱中してやっている。

バイクに乗る時も一人が当たり前。もちろん、ツーリングも一人。

「さみしく無いですか?」と良く人に言われるが、自分では一人でいた方が全然気が楽であり、楽しいと思える。また、「友達いないのですか?」という訳の分からん事を言う奴もいるが、面倒なので「居ない」と言っておく事にしている。

休日も一人で好きな事をしていると「休息を取った」と感じるのである。

一つ言えるのは、このボッチの世界には「押し付け」は無い。
イヤイヤやっているような事も無い。

全ては自分が好きでやっている事なのである。

楽しいか楽しくないかは全部、自己責任なんですね。

唯一、条件を付けるのであれば、「他人様に迷惑はかけない」という事でしょうか。

令和時代は、過去の考え方、生き方を捨て、やりたい事をやる時代になる。
いつまでも拝金主義に乗せられていてはいかん。

人生は一度しかない。
死んだら終わりだよ。

最近、若い子の自殺など心が痛いことばかりである。
日本人の人口自体が減っているのに自殺なんてするなよ。

私は現在61歳手前にいます。
人生80年と考えれば、生きている時間は20年弱しかありません。

そんな短い時間を「お金」で縛られたくないし、「自分の嫌いな事」もしたくありません。

前から言ってますが、「ボロは着てても心は錦」ですよ。

9月 262019
 

また増税ですね。
我々の給料は増えていかないのに税金や社会保険料だけどんどんと上がってゆきます。

大した給料でもないのに引かれている税金関係の多い事・・・。

これで会社を辞めて年金生活になったら2000万円以上貯金が無いと生活できないなんて国は、一般市民の生活をどう考えているのか分かりませんよね。

学校を卒業して働き出して、結婚して子どもを育て、家を買い、その間病気をして入院をしたり、会社を辞めたり(辞めさせられたり)と山あり谷ありの生き方の中で最終的に2000万円以上を残すとなると達成できる人ってどの位いるのでしょうか?

もう大学を出て、何の会社、どんな職業に就いたかによって将来の予想が付いてしまいそうですよね。

全てが『老後の生活のため』に一度しかない若い頃の楽しめる時間を潰して懸命に努力しなくてはならないの事が何か異常のように思いませんか?

サラリーマンという職業がこれから良くなるとは全然思えませんし、個人商店だって良いとは言えない。お金持ちの富裕層=上級市民と何も持っていない下級市民とで、既に社会的な階層が出来上がってしまっているように思えてなりません。

そう考えると色々努力してももがいているのと同じですよね。

では、これから学校を卒業して仕事を始める人は何を基本に職を探せばいいのか?

昭和の時代と違って、学生時代から金融や株などの投資や今後伸びるであろう業種を探し、専門的な知識を早めに身に付ける努力が必要になってきます。

私が大学生の時は、そんな事思った事も考えた事も無かったですよ。
ただ、その時に楽しいと思っていた事をやってただけです。

下手なバカ大学に行くよりも専門的な知識を身に付けられる専門学校の方が良いのではないでしょうか。

もう文系の大学を卒業しても意味が無くなるように思います。

自分の時間を切り売りして給料をもらう時代は終わったのだと・・・。
電車方式=レールの上に乗っていればゴールまで辿り着くという事は無い。

これからはいかに拘束されず、自己の収益を上げることができるのかを考え実行していく事が必要になってきますよね。

働き方だって朝から晩まで同じ会社に勤めるという事も無くなるかも知れない。
個人でいくつかの会社と契約して個人事業主的な働き方が主になる可能性だってある。

大企業が吸収や合併したりする時代ですから、今良いと思って就職した会社の10年、20年後なんて誰にも分かりませんよ。

ただ、言えるのはどちらにしても『老後の生活費』は必要であるという事。
生ぽだっていつまで貰えるかだって分かりません。

金の無い下級市民は山奥に捨てられるかも知れませんよ。

20代で頑張ってお金を貯めて、地方の畑や田んぼを買って、自給自足生活をした方が、これからの食料不足に対して有効なのかもと思います。

果たして、令和のこれからはどうなっていくのか?

9月 252019
 

実は私の家は町の自転車屋だったんですね。
町の良くある個人経営の自転車屋さんで修理をしたり新車、中古車、バイクも販売していました。

そんな環境で育ったので、自然と機械いじりが好きになったのかも知れません。

自転車に関しては私が中学、高校の頃の方が値段が高かったように思います。
今のようなママチャリが主流ではなくて、流れるウインカーが付いていたり、ブレーキがディスクであったり凝った作りの自転
車だったように思ってます。自分でスピードメーター付けている人もいました。

それが、いつの間にか安い海外生産のママチャリに席巻されてしまい、日本国内の自転車メーカーは本当にダメージを受けたのだと思います。打撃はメーカーだけではなくて、卸問屋や町の自転車屋さんも大きなダメージを受けたと思っています。

★昭和時代の自転車=高価で大事に扱っていた乗り物
★平成時代の自転車=使い捨て、壊れたら買う乗り物

使い捨ての乗り物になってしまった事で、町の量販店やちょっとしたスーパーでも販売するようになってしまいました。昭和の時代には大事に扱い、修理をして長く乗る個人の乗り物でした。一時は量販店で購入した自転車の修理はし ないという町の自転車屋さんもあったほどです。(自転車協会とかで決めていたのかも知れません)

そして景気が悪くなり安価なママチャリが若い人にも普及、それが自転車の中心になっていきました。その反面、高価なロードスポーツやマウンテンバイク等趣味の世界の自転車も少なからず増えていきます。

★趣味としての自転車は非常に高価と二極化する

その内、電動アシスト自転車が販売されるようになります。
出始めの頃は、電池が大きく重たい、乗れる距離も短いものでした。電池が切れると普通の自転車よりもこぐ力が必要で電池が生きていないと乗れない自転車でした。

そして、その電動アシスト自転車が色々なサイズで販売され現在に至っています。

★電動アシスト自転車が売れ始めると原付バイクが売れなくなった!

今まで原付(50cc)バイクに乗っていたおじいさん、おばあさん等は電動アシスト自転車に切り替える、近場の通勤で原付を使っていた人も燃料費を考えて電動アシスト自転車に移行、YAMAHA、HONDA、SUZUKIの原付が全 然売れなくなってしまう。

この頃から業界はバイク生産を海外に移していく。暴走族=バイク=悪 という論理になっていく。
日本では高校生に3ナイ運動(バイクに乗らない、買わない、免許を取らせない)という事を押し付けた結果なのかも知 れません。

★日本は屈指のバイクメーカー国なのにとんでも無い事を啓蒙していた

こんな環境で長い期間、バイクが売れない時代をメーカーは我慢して作ってきたんですね。
しかし、最近では原付は日本独自のガラパゴス仕様なので、売ってもコストに見合わない=生産を中止したいと業界から要望もあり、アジアで主流の125ccの小型自動二輪を日本でも主流にして行こうかという方向に向いてきた訳です。

★そして令和時代となり、小型2輪がくるのか?果たして電動アシスト自転車時代となるのか?

電動アシスト自転車と電動自転車では全く意味が違うので注意して欲しいと思います。

電動自転車は駆動がフル電動=ペダルをこがなくても走る=免許・ナンバーが必要
電動アシスト自転車=ペダルをこぐ補助動力として駆動する。

中華製品で「電動自転車」と言うと、このフル電動化された自転車形態のバイクを表する事になるので注意が必要です。「見付からなければ大丈夫」とか言っていてもヒヤヒヤして乗っているのはいかがなものですか。

令和時代は高齢化社会になる幕開け時代です。
町の商店街も高齢者の人達で交通ルールがあって無いような状態になっていますよね。

そんなところへ高齢者が電動アシスト自転車で走られると非常に危険だと思います。
電動アシスト自転車も免許とは言わずに資格制にするとかしないと思いますが・・・・。
女性(子どもを乗せた)の運転も勝手な人多いですし・・・・。
自転車にも任意保険がある時代ですからねぇ。

皆さんはどうお考えですか?